スネーク マン ショー。 スネークマン・ショー/ラジオ・スネークマン・ショーVol.01【TBSラジオ「スネークマン・ショー」より】

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80年代に何があったか、80年代がどんな時代だったかを語る上で欠かすことができないのがスネークマンショーの存在だ。 しかし、この「意識高い系」という意味が現在とは全く異なる。 現在この言葉は、思想であったり、フィジカル面であったり、人脈で語られることが多いのだが、80年代においての「意識高い系」とは、笑いであり、ファッションであり、音楽であり、遊ぶ場所であり、どこまで最先端の感覚を共有しているかという意識の表れだったような気がする。 つまり、時流に乗って人生どこまで楽しめるかというのが、物質文明が先行した80年代においての「意識高い系」である。 彼らのファーストアルバム『スネークマンショー』は81年の2月21日にアルファレコードからリリースされた。 当時のアルファレコードと言えば、YMOを筆頭に立花ハジメ、そしてシーナ&ザ・ロケッツなどが在籍、小さいながらも時代の先を行く音楽を発信するレコードメーカーであった。 このアルバムには「はい、菊池です」というポール・マッカートニーが大麻所持で逮捕されたエピソードにまつわる寸劇をはじめ、コントと音楽を織り交ぜ、YMO、シーナ&ザ・ロケッツ、サンディーのほか、ニューウェイブとオペラを融合した革新的な音を世に残したクラウス・ノミ、当時のネオロカビリー・ムーブメントの立役者、ザ・ロカッツなどバラエティに富んだ様々な音が収録されている。 特筆すべきは、シナロケの「レモンティー」や50年代のロカビリーをマッシュアップしたザ・ロカッツの音源が収録されていることだ。 つまり、ロックンロールの王道スタイルとも言うべきこれらの音源をYMOやクラウス・ノミに匹敵する時代の最先端と紹介するその感覚こそが、スネークマンショーのもうひとつの顔であった。 ちなみにザ・ロカッツは、このアルバムで日本に紹介された後、エルヴィス・プレスリーの古巣であるRCAレコードより、『メイク・ザット・ムーブ』を発売している。 音楽評論家の大貫憲章氏がオーガナイズする『ロンドン・ナイト』をはじめとするロック系クラブでキラーチューンとなり、その後、廃盤となった同アルバムは一時とんでもない万単位のプレミアがつき高値で取引されていた。 この余波から、同じくザ・ロカッツが収録されていた『スネークマンショー』にも相応のプレミアがついた。 アルバムが発売された数か月後、中学1年だった僕は、聴いてはみたものの、そこに詰め込まれた背景を全く理解出来ずに、正直、『スネークマンショー』の何がよいのか、さっぱり分からなかった。 しかし、これを理解し賞賛するのが最先端だと思い、何度も繰り返し聴いた。 そして、年齢を重ね様々な音楽を知り、時代の波を認識するほどに、ようやくこのアルバムの深みが理解できるようになってきた。 空虚なものと認識されがちな80年代であるが、そこには、感度のよいアンテナ、そして決して流行で終わることのない確固たる音楽的センスが存在していた。 つまり、スネークマンショーは「意識の高い」ラジカルな音楽を発掘し、世に知らしめたという大きな功績も残しているのだ。 2018.

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スネークマンショーとは、茂一・・によって結成された、またはその番組である。 前半に活躍した。 概要 そもそもは、にズ・ED(エド)が、店内用販売促進として流すテープのの依頼を、発起人の茂一に打診したのがきっかけで生まれた。 この名前はのがの「・」ので当初番組進行をし、そのが()年生まれだったことから「」を自称したことが由来。 なと通好みの選曲というは、この頃からされている。 このテープは好評を博し、番組化される。 ・(現:)・と渡り歩いたが、その(当時としては)過な内容(現代の番組としてであれば、さしたることはない)からが出るようになる。 そこで、親交のあった「」として、『X』を。 これが大となり、以降は制約の少ない盤などによる新作に再度方針転換する。 その後は、と武らの確執があった模様で「スネークマンショー」としてはし、彼らは一度袂を分かって歩み出すことになる。 上述した各の記事もそれぞれ参照されたい。 この独特な笑いの表現法は、その後のにも多大なを与えた。 それまで「ベタ」な笑いしか存在し得なかったの界に「」を加えた先駆者である。 時は流れて、・夢ので開催された「」において、彼らが上の「復活」を遂げた。 この場において、と武が歌った一の曲である「咲坂と内のごきげんいかが」も、発表から年ぶりに披露された。 後世に与えた影響 スネークマンショーのであった者たちが後に作り手となり、作品に由来するなどの内容・演出・作品などを数々生んだり、武を起用したり、「先の」などのクルを起こしている。 以下で詳述。 「」()のは「スネークマンショー盤」のを模倣したものである。 初代のは武であった。 「」などでおなじみ「」が名乗る・「」の由来は「スネークマンショー」から来ている。 彼らへの謙遜・尊敬を込めて「には敵わない」(敵であるため)から「」を「」に変えたもの。 「」の「マン」の由来も、スネークマンショーである。 ちなみに、彼らがをつとめる「のムーン」()の曲は、の「X」に収録された「MULS」である。 「」()のによると、当初はの番組みたいなの番組をしていたようで、そのとして考えられていたのがスネークマンショーであった。 番組である「くもじぃ」のに武を抜したのは、その名残りである。 長寿番組『』の『 』で武が「欲情」(氏の)として演じていたのだが、後年になって本当に当該番組の機長()を務めることになってしまった。 綺麗なだ! 関連動画 関連商品 関連コミュニティ 関連項目•

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スネークマンショー アルバム紹介|スネークマンショー 海賊版

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おっさんでもギリギリ世代 スネークマンショーって知っていますか?46歳のおっさんでもギリギリ世代なので、20代の人なんて知らないでしょう。 たぶん。 自分はもともとYMO(イエローマジックオーケストラが好きでして、そのアルバム『増殖』の中でコラボレーションしてて始めて聞いたように思います。 そんなおっさんでもギリギリの世代です、中途半端な情報は怖いのでここはちょっとwikiのデータを貼っておきます。 スネークマンショー Snakeman show は、日本のCMクリエイターユニット、ラジオDJユニット、コントユニット。 1975年末に桑原茂一と小林克也によりプロジェクト開始。 1976年春から1980年初夏にかけてラジオ大阪、ラジオ関東(現・RFラジオ日本)、東海ラジオ放送、TBSラジオでスネークマンの名を冠した音楽番組(『スネークマンショー』『それいけスネークマン』)を担当。 1976年末に伊武雅之(現・伊武雅刀)が加入したのちに、先鋭的な選曲と曲間でのラジカルなコントが一部で話題になった。 1980年、不本意な事件でラジオは打ち切られるものの同年、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)とのコラボレーションアルバム「増殖」や、1981年、スネークマンショーとしてのアルバムリリースにより、一躍全国区でスネークマンショーブームが起きる。 しかし、1983年に桑原・伊武と仲違いした小林が脱退。 その後、2011年のテレビ番組放映までユニットとしてのスネークマンショーの動きはなかったが、その間、数多くの編集盤が発売された他、時折メンバーのソロ活動も行われた。 簡単にいうと、スネークマンショーというのは桑原茂一と小林克也と伊武雅之(現・伊武雅刀)の3人によるコントユニットです。 もともとはラジオから始まった音声だけでコントを繰り広げる人達で、この人達がやっていたラジオは1960~70年代に一世を風靡した伝説のラジオ番組となります。 そして、後に『オレたちひょうきん族』や『8時だョ! 全員集合』にも影響を与えていると言われます。 内容はブラックでエロで下品だけどオモシロイ そのコントの内容は、ブラックジョークであったりエロ満載であったり下品です。 今では難しいんじゃないか?と思われる内容もあります。 なので、人を選びますけどその分好きな人にはたまらない作品が今でもたくさん残っています。 おっさんの解説付きオススメ3つ まず最初にお断りしておきますが、これ聞いて全員笑えるとは思いません。 大事なのは音声しかありませんからどういう風に想像して楽しむか。 刑事コロンダ もちろん元ネタは「刑事コロンボ」で、設定としては飛行機の中で刑事コロンボを見ているということなんですが・・・個人的にはくだらないけれど笑ってしまうといやつです。 ジャンキー大山ショー(エロと下品に注意) ただしゃべっているだけなんですが、よく聞かないと意味がわかりません。 しかし、わかってくるとそのくだらなさに、引くか乗るかどっちかになります。 そして、これを真面目にやっていて、それを聞いている人がいるという時代背景とか考えると、ついニヤリと出来ます。 自分はね。 はい、菊地です(~七人の刑事)(くだらなさに注意) 自分はスネークマンショーの中で、これが一番好きです。 この作品の背景としては1980年ポール・マッカートニーが来日したときに税関でスーツケースに入れてた大麻が見つかって逮捕されちゃった事件が本当にあったんです。 で、そのときに看守に本当にサインしたことをポール・ マッカートニーが認めているそうです。 他にももっとくだらなくて笑える作品がたくさんありますので、気に入った方は探してみてください。 でわ、股!!.

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